Home » 育て方 » なぜ栽培は難しいと至るのか?

0

「栽培できるかな?」「枯らすかも…」

「栽培しよう!」「育てよう」と前のめりの姿勢は、窮屈に難しく
感じて、考えてしまう”見方”なのかもしれません。
連想していくと…

  1. よし、栽培しよう!
  2. 栽培の仕方は?育て方は?なんだ?
  3. いつ、どこで、どのくらい、水をあたえるのか?
  4. いつ、芽がでるの?
  5. なかなか出て来ない、細い
  6. 忙しくなる…「あっ、忘れてた!..水…」
  7. やっぱり、私には…

っと、勝手な連想をしてしまいました。が、笑

自己都合栽培は、疲れる

「育てない」、「育つもの」。
イメージが先行し過ぎて、気づかれ。植物は、見えませんが命あるもの。
人間に例えるとわかりやすいです。子供でも。
パチッ、パチッとスイッチのように、白黒反応が得られません。
また、矯正もできません。笑
言葉が通じません。できることは、待つことと時に与えること。

ベビーリーフと書和紙台座

見届ける、任せる、流れる

「わからない」

それで良いのだと思います。ただ、気にとめる。気にかける。
一緒に、生活をする。
水や空気、太陽環境を与えるのは、いつか?
自分なりに見てみて、「元気が無いな〜!」と感じたら
手を差し伸べる。なぜなのか、考えてみる。
その時々で、良いと思います。「型は、ない」
相手は、自然。程よい、距離感を持ってみてください。
新聞を読む際、近くで読まない感じ?!笑
全体像が、見えるように持ち、見通す感じ?
近くに寄りすぎない。
その中で、なぜだろうと問うことは、大切だと思います。
気づきは、次につながります。

栽培しない、育てない

見守り、気にかけて、時に手をかける(共に生活する)

人間と同じですね。
感謝




タグ:

コメント