ここ最近、育て方のことについて書いていますね。
どうしてかと言いますと偶然遭遇するからなんです。
昨日、遭遇した妙に目に飛び込んでくる「美しい生き方」
説明をするよりも実際に目に入れた方が、わかりやすいので
写真をみてみてください。植物の名前は、すみません。
わかりませんでした。笑
これどなたか、ご存じないですか?
どなたか教えてください!笑
お花姿もそうなのですが、さてどこから咲いているのかというと
地球からです。笑
そう。地球という地面であり、舗装されたどうろの隙間から
「ニョキッと」というよりも、「ド〜ン」っと力強いお姿。
自然は、厳しいのにどうしてツヨク逞しく育つのか。
「自分自身を生きるために、独りで生命と向き合い続けている」
それでは、独りではなく、手に触れて育てられている
モノがありましたので、見比べてみましょう。
育てられる生き方は、強くないのか…
どこか、よ〜く見比べてみると、どこか弱々しい。
なぜか?手をかけると駄目なのか?環境の違いを比べてみる。
発泡スチロールに植えら育てられて生きる植物:
- 十分な土の量
- ヒトの手によって与えられる水
- 海風ある環境
自然体に放置された育ち方
- 土はほぼ見当たらない
- 水は、雨水。余分もなければ、蓄えもない。
- 同じ、雨風ある環境
独りで生き抜く道しかない
一体これは、どのような環境のもとにいるのか?
誰に頼るにも頼れない環境(自分で生きなければ死と隣り合わせ)にある。
自分でやらなければ、死んでしまう。
与えられた環境の下で、自分自身ができる最大限のことをやるだけのこと。
ヒトの手に育てられている方は、周囲に土あり、水あり、天候あり。何でもある。
それなのに、比べられると「美しくない…」と思われる。
なんなのこれ?もう、種は、道路に蒔いた方が良いのではないか?
なんて、そんな風に感じてしまうのも自然なのかもしれません。笑
「育てる事はできない。育つもの。」そのような感覚でしょうか。
では、そのときに何が必要なのか。
辛抱すること。見守ること。グッとこらえること。ほぼ、同じことですね。笑
手が出てしまうものです。なぜなら、「なんとかしよう、してあげよう」っと
思うからこそだと思います。ところが、過度になると たるみ ます。
自然体の育て方がどうして、最良なのか?
自分自身を自分自身の生き方、育ち方で、自分を生きているから。
自身が納得して、自分流を生きること。
第三者は、関与すべきではないのか?っと至りがちですが、
そうでもなく、当事者にとっての「自覚」があるかどうか。
腑に落ちていないと、おそらくフヤフヤになるのかと感じます。
「事実を受けとめて、程よく、バランス」そんな所でしょうか。